On The Kpanlogo

はじめに

 

ここに公開されているパンロゴに関する情報等は、チャンシーとnaokoが1996年より ほぼ10年にわたって試行錯誤で研究を重ねてきたものです。1995年末、私達のパンロゴはまったくの素人として始まりました。

日本国内には、まだ情報はおろか、“パンロゴ”と言う言葉じたいも確立していない 時です。
そんな中、初期の4年間をガ−ナ人ミュージシャンのオスマン・オランドゥ・ビング ル氏、後の 2年間をガ族の伝統ドラマー、ナポレオン・二ー・テテ氏に、直接教えを 受けて、6年あまりの波瀾と情熱のときを過ごしたのです。(オランドゥ氏には主にガーナの歌と太鼓の楽しさ、 ナポレオン氏には伝統のパン ロゴとアンサンブルを習いました。)

ちょうど始めて3年目の夏、佐渡の『アースセレブレーション』にて、パンロゴの名 人アジャ.アディに出会い、その時に『スクールウォーズ』のような「オレ達の今ま では何だ!?」と言うような大きなショックを受けたのです。アジャからの励ましも あり、出演したメンバ−一同、パンロゴの一からの出発を涙とともに決意しました。

その後、ナポレオン氏に伝統のパンロゴとアンサンブルを習う一方、独自にパンロゴ クラブとして、ムスタファ、アジャ、のテクニック研究へと突入して行ったのです。しかし、やればやるほど情報の少ない日本ではあきたらず、現地ガーナのドラムの音 をナマで確かめるため、、2001年〜2002年には現地ガーナに向かいました。ザイロフ ォンの達人カクラバ.ロビ氏にコギリを習う中、レゴン(ガーナ大学)のダンサー、 コンフォート女史や、アートセンターで教えるポール氏のダンス個人指導等を受け、 大きな 収穫を得ました。また、ココロビテにてオボノドラマーズの演奏をまじかに して、ドラムの魅力にますますとりつかれたのです。

しかし、研究を重ねれば重ねるほど、名人のパンロゴの実践的なテクニックは、他の 音楽教育、パーカッションメソッド 等とは一線を画す部分があり、名人のパンロゴ ならではの独自の身体操法が有る事が分かってきました。

私たちは、あらゆる努力と情熱をもってパンロゴのナマの情報を獲ようと、HP、文献 類等をあさりましたが、現実のパンロゴの「この核心」を述べるものは、得られませ んでした。むしろ、この10年間の研究の成果を公表して後進のすすむ道を開くことが 大変重要なことと思いました。

ここにその秘密を余すこと無く、全て公開して日本の パンロゴの普及に役立てたいと思います。

 


 

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