2004/09/08 Wed |
ラックスマンの演奏は佳境に入ろうとしていた。
...三千世界の神々が息を呑んで見つめている。
伴奏のプリンは、しばし傍らでそのグリっとした瞳をラックスマンに向けると、休みに入った。
木琴の前、黙想するようにしていたラックスマンはビーターを取ると、こうべを上げた。
強烈なスポットを浴びたような顔が陰影を激しく刻んだ。
最初の一撃音が空間を一変した!
“アフリカ” ...夜明け前の森から鳥達が一斉に飛び立つのが、突然目の前に広がった。
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2004/09/09 Thu |
プリンは傍らから、ラックスマンの演奏を穴のあく勢いで見つめていた。
「凄い...。...やっぱり名人だな。始めの一撃で“世界”の脳天が割れたもの...。」
「名人を超えておるわい...。あれは気迫だけでは無理じゃ...。
...しっ!メロンだ、カメレオンのメロンだよ!上じゃ、樹の上じゃ、お前さんの心に直接話し掛けておる...。」
メロンが太い枝の上に身じろぎもせずにじっとしていた。
プリンは目玉を思いきりギョロリとさせ、後ろの樹上を見た。ラックスマン達の後ろを囲むように在る双樹の、右の大樹から低く張出す枝にメロンは居た。
「プリン、お前さんも、すでにうすうすは気づいておるじゃろうが、コギリはただの音楽とは訳が違う。この木琴、葬式に使うということは、魂を実際にコントロールするということじゃ..。
コギリも名人になると、あの世も、この世も、関係すらなくなるぞ。
三千世界を行き来できる魂の乗り物ということは、...その数百万、数千万種の魂の、行くべきとこに行くためのコントロールを、可能ならしめるのじゃ。」
メロンは目を開けたまま、まるで眠ってるように言った。
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2004/09/14 Tue |
...お話は打って変わって、ここは日本の本州最北端にある霊場、「恐山」。
見るからに悲しくなる色を秘めた湖...、その上空には、無数の人魂がウヨウヨとさまよっていた。
あいもかわらず寺の境内は、口寄せのイタコ、霊能者、呪術の者、乞食、参詣者、観光客、湯治の者などで、一団の異様な活気に満ちていた。
「これこれ!、そこのお前さん!...そう、サングラスのあんたじゃ、あんたじゃ!お前さんのご守護霊に遠いアフリカの森からいらっしゃった方がおるぞ!?そのお方が早急にお話したい事があると申しておられるぞ!?...こちらに来なされ!」
片目が斜視でえらく違う方を見ながら、参道の路肩に座り込んでる乞食が、透を見て言った。 |
2004/09/14 Tue |
松永透は、22才の誕生日を向かえていた。透の目は2年程前に視力を奪われ、ほとんど全盲に近かった。
東京の自宅から、着の身着のままで、ホームに来た列車にそのまま乗ったのだ。
列車は北の果てを目差していた...。
「僕の事ですか?」
透は、声の方に言葉を返した。
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2004/09/16 Thu |
「そう...。う、う、....。
...本来、お前の命はすでに20才で終わっていたぞ...。
しかし、どうしたわけか、...この盲目の2年間を経て、お前の魂の霊団は今し方、この天空に彷徨い出たぞ!?
...見ろ!無数に飛び交うヒトダマを!
今こそお前に死が訪れよう。」
乞食は、何者かが憑依している目を在らぬ方に向け、大声で怒鳴った。
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2004/09/17 Fri |
「...あなたは誰なんですか?ホントに守護霊様なのですか?ぼくの守護霊様なら分かっているでしょう?僕は、...死ぬのなんかちっとも恐くない。僕自身は2年前にすでに死んでいるんですから..。」
透はすずしげに、その方に向かって言った。
すると、別の、穏やかで、力のある、女か男か分からないような声が、上空から響いてきた。
「透、思い上がってはいけません。お前は二十歳でその生を終わり、その魂も、転生の終わりをむかえるはずであった...。
しかし...それを、たっての望みで押しとどめたものがありました。...それがあなたの指導霊、アフリカにある神なのです。」
「なまいき言うな!さっさと抜かさず、早う命を投げだせ!」
別の声が荒々しく怒鳴った。 |
2004/09/27 Mon |
「僕は、たとえ守護霊様の言い伝えでも、魂の救済を信じやしません。
僕の死は、僕を超える事は出来ないと思います。」
透の漆黒のサングラスは、克明にすべての外側を映し出していた。
「ぬ、今、貴様にほえづらをかかせてやるぞ!」
より一層大きな声が、がなるように響いた。
と、透の目の前に、醜悪な赤鬼が音もなく現れた。
筋骨りゅりゅうとして盛り上がり、金棒を振りかざす様は、周囲の者達を驚愕させた。
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2004/09/28 Tue |
「ヒ、ヒ、しのごのいうんじゃない!
ワシが誰か分かるか?ヒヒヒ、ショウズカ婆だよ!
ヘ、この先は三途の川だ!着てるもの全部脱ぎな!
...ケッ、...さあさあ、鬼ども!そいつの着ているものをすべてひっぺがせ!
ヒヒ、...お前の人生の決着をここに曝してやる。」
恐ろしい形相で、婆が怒鳴った。
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2004/09/29 Wed |
ショウズカ婆は、三途の川の入り口で、亡者の身ぐるみ剥いで、その衣類の重さで今生の罪を暴き出すのだ。
罪の重い者ほど、掛けかけた枝が、その罪でしなるという..。
「服を脱ぐんですか?造作もないことです。」
透は着ていた衣服を、自らスラッと脱いで、赤鬼の前に放り出した。
そのまま透の衣は婆の前に放り出され、一本の枝に掛けられた。
枝はまるで、岩石を乗せたようにバリバリと音を立てて折れた。
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2004/10/01 Fri |
「あきれかえったな。小僧!...みずからの罪の重さが、枝まで折らせたぞ!
その重さがお前の業だ。」
ショウズカ婆は衣を拾い上げ、笑いながら言った。
「どのような業でしょう?」
まゆげ一つ動かさずに透は言った。
「それは、その三途の川を渡りきったところで聞いてみろ!
鬼供、さっさとその小僧を立ち回せ!」
ふたたび恐ろしい形相になったショウズカ婆が、怒鳴った。
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2004/10/13 Wed |
やがて、透は大勢の亡者共に混ざり、ハシケからゾロゾロと古代の奴隷舟のような舟に乗せられた。
三途の川は、たれ込めた空に不定期な波が寄せ、対岸はまるで見えず、海と見まがう程に果てしがなかった。
船内は足の踏み場もないほどに罪人に溢れ、屈強な男は鎖につながれ長いオールの漕ぎ手にされた。
地獄の渡しの銭を持ったものは、我れ先にと獄卒の黒鬼に、多少の優遇を必死になって願い出ていた。
「さあ、亡者供!死ぬ気になって漕げー!!」
ひときわ大きい黒鬼が信じられない大声で怒鳴った。
「プッ、これは失礼!、もうきさまらは死んでおったか。ガハハッ!」
大きな黒鬼は、自分の言ったギャグに吹き出した。
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2004/10/14 Thu |
船の中は、食事はこれ以上薄くできないという程の芋粥が、朝と夕の日に2回のみ。
波の縦揺れにも、身動きもままなら無い程の空間しかなく、辺りには糞尿の異臭が立ちこめ、もじどうりの地獄の様相であった。
余りの待遇に不平を漏らそう者は、その場で黒鬼に肉片になるまで完膚なきまで叩き潰される...。その絶叫は、薄暗い船内に異様な音となって響いた。恐ろしい叫びと船の軋みが一体となって、木霊するのだった...。
恐ろしい光景にほとんどの罪人は口を噤んだ。
...すると、業の力なのか、身体はしばらくすると2、3時間かけ、また元の形に復元してくるのだ!
「グハ、きさまら、まだ地獄の入り口にも立ってないぞ!」
ひときわ大きな黒鬼が怒鳴った。
透は、眉一つ動かす風もなく、何故か笑みさえ浮かべるような表情をした...。
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2004/10/15 Fri |
「おい!そこの黒めがねの小憎...。この船に乗って涼しい顔とは見上げたやつだ。
だが、どこまでそうして居られるか、ひとつ試してやる。」
3つの目玉をカッとばかりに見開いた大きな黒鬼が、透の前にズカと立ちふさいだ。
そう言うなり、透の腕を掴んで、雑巾のように絞りあげ、その場でグチャグチャにねじ切って、ぶち捨てた。
「ぐぎゃあー!」
吐き出すような嗚咽とも、悲鳴ともつかないものが、透の口をついて出た。
二の句も次ぐ暇もなく、腕、脚、とねじ切られ、胴体と頭部のみが板床に放り出された...。
しかし、肉の悲惨さとは裏腹に、透の自意識は、透徹の度をはるかに増した。
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2004/10/18 Mon |
獄卒に肉体をばらばらにされ、透の、鍛造された刃物のような自意識は、肉体的な極度の苦痛と激しく責めぎ合っていた。
やがて、己の業力によって、再び自分自身が再生に向かって動き始めていた。
しかし、問題はその肉体苦痛の果てにあった...。まったくの出口なし、とりとめようもない絶望のこのような繰り返し!?
...驚いた事に、透の自意識はそれを見切り、それを肯定したのだ...!?
不適な笑いは、そこから湧き出るように起ったのだった。
己の業により、再び肉片から自己が再編されるのであれば、それでもよかった。
何よりも強烈な自意識が、業そのものでも在ったのだ。
透は再び起き上がった。
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2004/10/18 Mon |
船は出航して49日目に対岸に着いた。
亡者たちは、その無気味な空の色に驚きながらも、息のつまる船倉から開放されたことに一息つく思いで、ハシケを長い列となってぞろぞろと下船した。
船からハシケのところどころの要所で、大きな黒鬼の立ち姿が亡者の列から飛び抜けていた。
透も、その列の中に在った。
「この地獄に着いた以上、肉体の責め苦と苦痛は、きっとあの船の比ではない。」と、震え上がる亡者たちの話声が、そばから聞こえた。
「...一体あんたは、どんな悪さを重ねて、ここに来たんだ?」
別のひそひそ声が喋った。
「店先の大福に、...つい手が出てしまって...。それがのどを詰らせて...。」
「えっ、なんだって?そんなことで?!」
「...で、あんたは?」
「浮気さ...。ち、亭主に逆上して殺された...。」
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2004/10/19 Tue |
「これからきさまたちの裁きが始まる!」
黄色っぽい鬼が大声で怒鳴った。
先着してた亡者たちの行列は、ゾロゾロとつづらおりに折れながら、奇妙な尖った小山のすそ野のまで果てしなく続いていた。
山から降りてくる気持ちの悪い生あたたかい風に乗って、硫黄の、卵の腐ったような臭いが辺り一面鼻を突いた。
透は、先達の亡者の肩を借り手を述べ、ゴロゴロの岩だらけの足場の悪い道を
転びながら、転びながら、やっとの思いで城門の庭にでたどり着いた。
「きさまらの娑婆にいた時のすべての証拠はあがっておる!
ここでは、こんりんざい言い逃れはできんぞ、!
そら、そこの大鏡を観よ!
...きさまらの、今生のすべてが暴露されておるわ!」
ひときわ大きい黄色の鬼が、割れ鐘のような響く声で叫んだ。
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2004/10/20 Wed |
自分の我欲で罪に堕ちた者たちは、その大鏡に、その現場が大写しにされた。
そのリアルな克明さに驚きつつ、これは自分ではない、とうそぶく者、
ほんの出来心と、罪の許しを乞う者、
だからなんなのと開き直るもの...、そういう者は一瞬にして結審され、その場で、舌を巨大なカナトコで引き抜かれた。
この城門の庭では、人間というものが、実にたわいもない虫けら同然と化して見えた。
大鏡は、宗教家も、教師も、国を治めた役人も、警官も、医者も、ひとり残らず、その一瞬の迷いを、有無を言わさず暴き出していた。
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2004/10/26 Tue |
裁きの場は、次々と大写しとなる罪の現場と、それを驚きをもって見る亡者らが即座に結審され、亡者の嬌声と判官の怒声が入り交じった。
いよいよ番が来て、透は獄卒の鬼に恐ろしい大声で名を呼ばれた。
「マツナガ トオル!...きさまの目が見えずとも、心眼はこの大鏡を避ける事はできぬ!とくと己の悪事を嘆じろ!」
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2004/10/26 Tue |
そこに大きく映し出されたのは、二十歳の自分だった。
透は、その日に死ぬはずだった。
...その、二年前、....十八歳の時、透はインドに旅行した。
その折、偶然知ったアガスティアの葉の予言には、驚くべきことが書かれていた。
それは自分の前世から、現世に至る恐ろしい細部まで、
...誕生日から、父母の名前から、生まれ落ちてから眉間に有る傷の位置まで...。...。
そして自分がそこを十八歳で訪れる事、二十歳で死ぬ事、すべてが書かれていた...。
透には、決められた転生の物語りを完結させるべく、己を超える運命がそこに在るはずだった...。
...しかし、精密な時計のように、自我はその時刻さえも、正確に刻み超えた...。
何ごとも起らなかったのだ...。
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2004/10/26 Tue |
透は、3日後に服毒した。
しかし、その一命は取り留められた。...その美しく輝く自意識の眼は、永遠に光を失った...。
その一連の出来事が、瞬時に大鏡に映し出されたのだ...。
「きさまの勝手な思い上がりで、自らの命を断とうとした罪は、大罪に当るぞ!」
判官の声が響いた。
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2004/10/27 Wed |
思い上がりというよりも、運命への確信だった...。
...透は、その時、自分自身の存在は、何から何までが神により設計され、美しい対象系をなしていると確信したのだった。
アガスティアの葉に書かれた、数奇の転生を自分の運命として、自分の全存在を持って受け入れたのだった。
...そこには二十歳での、確実な死があるはずであったのだ...。
因果律は時計のように正確に実行され、運命とは動かしえない、自明のものだと思われた...。それは透の自意識にとっても望むべきもない最高の美であったのだ。
...あの転生の魂は、自分ではなかったのか?!...自意識は、運命の裏切りをゆるすことができなかった...。
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2004/10/28 Thu |
「...おまえは、まだ死んではならんぞ!?大鏡は続きがあることを強く知らせておる!しかし...この続きが写らん!?どうした事だ!?こいつを、すぐに娑婆に戻せ!」
城門の庭の判官は、大鏡を身を乗り出して覗き込むと怒鳴った。
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2004/10/29 Fri |
透の魂は、真っ白な空間を漂泊していた...。聞き覚えのあるような、やさしく強い声が何処からともなく聞こえた。
「...透、あなたは、一度死にましたね...。
ところが、まだしなくてはならない事があるのです。
それは、今のあなたの唯一の宝の、自意識の克服です。
....あなたを呼び戻したのは、...わたしです。わたしは地蔵菩薩と呼ばれます。
地獄の城門の庭を通ってしまえば、あなたは、これより、自意識の世界の地獄に永劫、苦しむことでしょう...。
何もかもが、精密に組み立てられ仕上がっている、その自意識は、因果律を超える事がありません...。」
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2004/10/29 Fri |
「地蔵菩薩様...。僕のことは、放っておいてくれませんか...?地獄が、永劫だろうがかまわないのです...。」
透の魂が言った。
「...アガスティアの葉の事ですね?
透、早まってはいけません、すべてが決定されているのではありません。
...あなたの転生の物語には、書かれない部分があるのです...。」
地蔵菩薩の声が明るく響いた。
「えっ!?なんですって?!」
透は驚きの声を上げた。
「運命は一つの事として、常に決定はされてはいないのですよ。
...この世は、因果律のみで解釈はできないのです...。
あなたの唯一の頼みの自意識には、そこが理解不能なのですね。」
地蔵菩薩の声は続けた。
「一体、運命が絶対でないとすると....。何があるのです!?」
透が返した。
「同時に因果関係の無いものが関係を持つ事を、あなたの自意識は理解できますか?...。」
地蔵菩薩の声が強く響いた。
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2004/11/01 Mon |
真っ白な空間を見上げると、透の魂はどんどんスピードを増して、上昇をつづけていた。
身体の感覚は在るのだが、肉体は見えなかった。
よく見ると、淡い光のようなものが、身体の輪郭をなぞるよう金色に発光しているのが不思議だった。
心持ちは、何か湯につかった後のようで、すこぶるいい気持ちがした。
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2004/11/04 Thu |
耳の奥に、グォーという微かな風音だけしか聞こえてこない...。しばらく魂が浮遊するような気分が続く...。
...いつごろか、気づかぬうちに辺りが香しい薫に溢れてきた...。
「...この透明な空気はなんだろう?」透はおもわず気を取り直して自問するように言った。
「透、...ここは天人の世界です。...目を開けなさい。」
あの声が響いたが、方向がわからない...。
「うっ....。」
自分の、見えない目を開けようと努力してみたがどうしても開かなかった...。
「...それほど力んでは開けられません。...心を通して見るようにしてみなさい..。
ただ目を開くように...。」
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2004/11/09 Tue |
「あ!見えます!...なぜ?
僕は毒で視神経をすっかりやられてしまってるというのに!?
...すごい、見え過ぎる程だ。」
透が言った。
「こころで見えているのです。“感じる”というこころで直接に見ているのです。
あなたに分かりやすく言いましょう。...実体との関係は“川の流れと渦のよう”なものです。
“渦”そのものを見る事が出来る、それが“こころ”です。」
地蔵菩薩は光の輪郭だけとなり、声自体が光の渦のようにクルクルと回った。
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2004/11/10 Wed |
天人の住む世界は瑞々しさに溢れていた。
早朝の静けさともに、清清しい天界の池に、蓮の花が争うように咲き始めていた。
何処からか、闊達な鳥の声が、その場を眠りから覚ますように聞こえてきた。
朝の金色にはためく雲までの間に、何ものもないように空気は透明に澄んでいた。
池の小道をこちらに、朝の散歩をする風の人が近づいてきた。
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2004/11/19 Fri |
その人物を透は、よく知ってる人のように思えて思い出せない...。
だんだん近づくその顔は、千変万化、あらゆる人に似て、瞬間、また別の他人になっている...。思わず声を掛けることが出来ずに、すれ違おうとした時に透と目が合った...。
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2004/11/22 Mon |
「透、このまま通り過ぎるまで分からんのか?」その人物が言った。
「...誰です、あなたは?僕を知っているんですか?!」
透は聞き返した。
「私はお前のおじいちゃんだよ!私は、お前の生きるべき道しるべを、いつも示してるぞ...。忘れては困るな。今は朝の散歩中じゃ。」
まじかにその人物が言った。
「おじいちゃん!?僕が5才の時におじいちゃんは亡くなりました。
...本当ですか?懐かしいような、でも、ぜんぜん覚えてません...。」
まじまじと、透は目を合わせた。
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2004/11/30 Tue |
その老人の姿は、みるみる内に姿は変貌して、一本の老いた松の樹になった!?
「なんてことだろう!?今、話していたのに、...はじめから樹だったのだろうか?...。」
透が叫んだ。
「透、見ただろう?この世界では、自分の好きな姿でいることができるんだよ。
好きな環境の中に、わしは好きな形で自然に存在しているんじゃ。
わしは樹になった。...今はこの樹でいるのが一番疲れない。
...樹は、感受し、風雪に堪え、眠るがごとくに在る...。
...その生きた存在の表皮は死だが、その同じ梢には若葉の幼命を宿す...。」
しゃべりはいつか、わたる風の声のように聞こえた。
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2004/12/01 Wed |
「...すると、...この天界は、この朝のすがすがしささえ、...自分がつくり出してるのですか?」
透は、老いた松に問いかけた。
「うむ、そうも言える。...しかし、それはお前の自分本位な自意識からして、納得出来ることではないぞ。...お前の存在を貫く魂の存在自体が、希求し欲した世界なのじゃ...。」
声のない声が梢を震わせた。
「...透、お前の一番欲しいものは何じゃ!?...言うてみろ。」
地中深くの根から響くような声がした。
「....。」
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2004/12/02 Thu |
「“絶対の空”です!...今、僕が心底欲しいと思うのは、“完璧に何もない”ということです。」
透は重く口を開いた。
「うむ。」
松の、堂々とした幹は無音のまま、梢の先端の一部がカサッと震えた。
「生のシンメトリーが、僕にあり得ない以上、...望むのは“絶対の空”です。」
透は、そこの部分を見上げて言った。
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2004/12/09 Thu |
「...透!...いつまでも子供のようにダダをこねてるんじゃないぞ!
...お前の運命が、自分の尺に合わなかったからといって、なんだ!...そのざまは!
運命の神秘にもっと謙虚になれ...。
“絶対の空”だと!?
...目を開けろ!...目を開けろ。」
松の傍らにいた透に、晴天の霹靂が下りた!?
何もない澄んだ空から、突如として透の真上に落雷したのだ!
..老いた松は、存在の無言のケイサクを透に当てたのだった...。
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2004/12/10 Fri |
透は雷に撃たれ気を失った。
それは、ほんの一瞬の出来事のようでいて、天人の一生を生き、その喜怒哀楽と長さを味わった気がした。
松の根方に透は目覚めた。
天界の老いた松は、何ごともなかったように天空に向かってさわやかに枝を開いていた。
その空には無数の天人が舞っていた。
「なんて不思議なんだ...。」
透は、松を振り仰ぎながら言った。
「ありがたい、ありがたい!目が覚めました。自分だけが特別な生を与えられていると思い込んでいたのが恥ずかしい...。
思えば、どのような生にも“終わり”は来るのですね...。天人さえも...。
...僕はわかりました、どのようなものも、路傍の石ころでさえもその存在を成就しないものはない...!!」
透は涙をこぼし泣いていた。 |
2004/12/16 Thu |
透の頬の上に、はらはらと何やら落ちてきた。
そのオレンジ色の軽やかな粒は、その老いた松の花弁であった。
「...透。私はお前を祝福するよ。
どうやら、私に...、.眠りが訪れてきた...。...これでお別れじゃ、たっしゃでな。
...そこの紅雀を、旅の供に連れてゆくといい。」
老松は、渡る風に梢を震わせるように、だがはっきりと囁いた。
黒々とした枝から、すばやく一羽の紅雀が舞い降りた。
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2004/12/20 Mon |
紅雀は、透の傍らの枝に止まると、しきりにある方向に急かせた。
振り返り見ると遠くに、キラキラと海の輝きが横たわっているのが見えた。
「...わかった、あそこに行ってみるよ。」
その瞬間、紅雀もせわしく飛び立った。
透はゆっくり向きを変え、歩き始めた。
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2005/01/06 Thu |
杖を打つゆっくりとした盲目の歩みは、それでも確実にそれに近づいていた。
だんだんに開ける展望は、金色の帯として遠景に在った海を、いつか目の前に横たわる膨大な光の輝きとしていた。
しばらく無言で杖を頼りに立っていた透がつぶやいた。
「ああ、これは、光りの海だ...。なんということだ!?光のひと粒ひと粒が手に取れるように、リアルだ!“ここに在る”。」
紅雀は、浜風に乗って突然高く舞い上がり、そうかと思うと急降下したりする動作を繰り返していた。
翼は、直接は見えない海からの風を、現実のものとして受けていた。
それは...、紅雀が透に、何か祝福の知らせを与えるようにも思えた...。
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2005/01/12 Wed |
やがて光り輝く海の中空に鋭い閃光が走った。その一点から空を引き裂くように観世音菩薩が現れた!
透の心眼には、そのお姿は、目で見る以上の実在に感じられた。
「透、よくここまで来ましたね。心が闇に閉ざされた者こそ、私はその者を救う願を立てました。誰一人の魂とて、そのままにはしません。」
透は思わずその神々しいまでの慈悲深いお姿を仰ぎながら、涙が自然に溢れてきた。
...輪廻転生を超えた、摩訶不思議の世界に透は踏み込んでいたのだ。
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2005/01/18 Tue |
どこからともなく声が聞こえた。
「...ゆける者よ、ゆける者よ、彼岸にゆける者よ。
彼岸にともにゆける者よ、悟りよ、さいわいあれ...。」
透は、天を仰ぐように顔を上げ、あらためて自分を振り返った。
「...彼岸に行くものは、見えようのない道を見る...。
そこには、あらゆる、道がある。
アガスティアの葉に書かれた転生は、一つの“道”だったのかも知れない...。」
“道”...そこを歩いてはじめて道となる...。
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2005/01/18 Tue |
...ラックスマンの木琴は、たった今演奏を終えようとしていた。
誰もが、静寂の中に、荒涼としたサバンナが只々横たわる世界を幻視していた。
直後に、ハッキリと別の世界から戻るフレーズが繰り返され、ラックスマンは軽く最後の一撃を鳴らした。
バチはカロランと軽い音を立て、木琴上にころがった。
おわり |