数奇のパンロゴ (外伝) ジャパン編 


2001/05/14 Mon

(殿!イケマセン!そんなちからでたたいちゃダメですよ〜。)
 ...これは、太鼓であるな?たたいちゃイカンのか?

(そうです殿、それは異国のパンロゴという太鼓で、たたくものではないと聞いてます)

 ナニ?!たたいちゃいかんのか?どうするんじゃ?!
(殿、聞くとこによると、しゃべらせるそうです...。)

 ジ〜ッ.....。   なにもしゃべらんが?....。
(...なにもしゃべりませんね〜。)
 うぬ!もっと大きな声ではなしかけてみよ!
 シーン。
 ええい!ぶれいもの!

 こうして初めて日本国に着いたパンロゴは、スッパリ輪切りなって桶屋にはらいさげられ、オケとなって湯屋へ...。
...波乱万丈の運命の始まり...。

 

2001/05/23 Wed

 ここは湯や。ころがりこんだ客が足に当てる。

 湯の客
「わちっ?なんでいこりゃ?ぶさいくな桶じゃねえか。くり抜きだあな。...まるでちくわのわぎりだあ?桶か?ほんとに。いててっ。」

 パンロゴ
「桶じゃありませんよ〜!」

 湯の客
「な?、なんでい、てめ〜?しゃべる桶ってのはお初だぜ!?」

 こんなわけで、桶のパンロゴは湯の客にくっついてっちゃった。

 この湯やの客は今売り出しの親分、新門の辰五郎。子分衆の末筆にくわえられたパンロゴ。おかみさんに輪切りになった体をくっつけてもらったが、まだ、だるま落としのような容貌。なかなか凄みも出て人知れずの人気だ。
 “しぴりん”といえば“ぴりんぱ”とこたえる、打てば響く太鼓のような?性格が親分に気に入られ、さあ、みるみる男を売り出してきた。

 

2001/05/25 Fri

 このころ神田お玉が池の千葉道場に出入りする門弟で、とうふ屋の豆蔵というヤツがいた。町人ながらなかなかの稽古熱心で、腕はそうとうあった。身の丈190センチはあろうという大男で力は強い。
あるとき神田明神の祭礼で、旗本やっこと町衆7、8人の派手な喧嘩があった。
「ちょう、ちょう、ちょうまった!この喧嘩、オレに買わせろ。」
 豆蔵はメシより喧嘩好きだ。取り囲む人垣を一段抜けた頭が、まん中に割って入った。
「な、なんでい、テメーは?どこの馬の骨でい!?」
 やっこがスゴんだ。
「馬の骨 じゃありゃせん。ただのとうふ屋だ。」
 人垣がドッと笑った。
「テメーから先だ!やっちめ〜!」
 振り上げられた刃物が光った。

 町衆、やっこあいまみれてなにがなんだか分からない。
 あっという間5、6人が空中に吹っ飛んだ。輪のまん中で3人ほど腰がヌケてた。座ったまま後ずさりしてるやつもいる。
「やい、もたもたしてるとガンモドキにするぞ。」
 いやー、豆蔵強い強い。

 この男がパンロゴの右腕のマメちゃん。

 

2001/05/27 Sun

 ある晩江戸の町に大火だ。こうなりゃ男の見せ所。パンロゴはまとい振りかざし屋根に飛びあがった。“しぴりんぴりんぱ”のリズムが風向きを、ググッと大川方向に向けはじめ一昼夜燃え続けた火事は鎮火した。このことが新内流しの仲間達に火を付ける。“しぴりんぴりんぱ”をおおいに流行らせた。粋な兄さん姐さんは、“しぴりんぴりんぱ、ちゃかちゃか、ぴん、”“しぴりんぴりんぱ、ぱぴんぱ、ぴん”と、うかれもんだ。もう大江戸じゅう知らないものはない。
で、この火事のときに半鐘をたたいた質屋のでっち金坊の“コ、コ、コ、”カネと、“しぴりんぴりんぱ”は、今もパンロゴのトラッドアンサンブルとして語り種だあな。

 

2001/05/28 Mon

 新門の親分からの頼みで長崎の旅籠平田屋をめざすパンロゴ、豆ちゃん、金坊。
 すっかり江戸では名をあげちゃったこの凸凹トリオ、行く先々で巻き起こす奇想天外なお話は、また後に譲るとして...。さあ、目的の旅籠平田屋の前にたった凸凹3人トリオ。あまりの警護の厚さにおどろいた。この中にいるお人に会いに来たのだと言っても門前払い。
 それもその筈、そのお人とはあの西郷どんだあ。パンロゴは軽く“しぴりんぴりんぱ、ぱぴんぱぴん“とたたきだした。金坊がすかさずカネを入れてくる。豆ちゃんのマラカスも間髪を入れず走り出した。おお!早くも警護の人垣を分けて、ささっと巨漢の西郷どんが脚さばきも軽く踊り出てきた。よよ!その後は知る由もない。パンロゴパーティーだ!

 

2001/05/29 Tue

 なんと驚いた!踊りだけじゃない。西郷どんパンロゴがたたけるぞ!軽いノリで、
「ぱぴんぱ、ぱぴんぱ、ぱぴんぱぴん」
 などソロを入れてくる。やはりこのお方、ただものじゃないぞお!長崎一等地にある平田屋前は盛り上がりの渦と化した。これですっかり打ち解けたパンロゴ凸凹トリオと西郷どんはファミリーとなった。

 のちに伝え聞いたことだが、西郷どんの葬儀の折には特大とがらし朱塗りの棺とともにワカジボの太鼓が鳴り響いたということだ。...ひょっとしてガ族?

 歴史の謎に1ページを加える奇妙な出来事だ。

 

2001/05/31 Thu

 ここでちょっと一服。

 上野にある西郷どんの銅像は高村光雲の作でいろいろオモシロイ論議をかもしている。一説には光雲先生、パンロゴの像も併設して作ったとある。しかし、行方知れず。近年これがなんとガーナの野口英世記念館にあるという。ホントか?いやいや、未確認情報。日本の首相が訪れたおり、なんと野口先生の像が金に塗られ、これも金に塗られたらしい。ホント?

 

2001/05/31 Thu

 もう一服つけちゃお。

 野口博士はガーナでは有名な人です。アフリカの人々を救うために自ら病にたおれた博士。この魂に賞賛を惜しまないアフリカの人々。

 そう素直に考えられますか?こういうの、子供の世界でも日本では隠れてしまった感がありますね。
 ....たましいというのは素直で純朴なんですよ〜。

 

2001/06/01 Fri

 ええい!もう一服つけちゃえ。

 野口博士で思い出した。医者の白衣って博士も着てるね。あれ、長いからイイんで短くなるとパン屋さんになるね。え〜いらっしゃい。長めのしわしわをひきずるようにすると、ただもんでない野口博士のレベル。お茶の水博士とか。あれがレインコートになると刑事コロンボ。できる刑事。 長くてしわくちゃのはかまでいたのが“ボロ鉄”こと山岡鉄舟。これは斬らない剣の達人だあ。 はだかでデカパンは山下清。あ、ピカソも。「パンロゴはホントはお洋服アウトなの!」
 ナポレオンさんです。ちょいと前まで男ははだかでうろうろしたもんです。

 

2001/06/04 Mon
 パンロゴは江戸っ子に人気だ。それもそのはず、「江戸っ子 は五月のコイの吹き流し」腹になんにもないことをよしとしていたんですな。パンロゴは太鼓だからもちろんサラッとホントになんにもない。そのナサ加減がいいんですな。

 何もないてえのは凄いもんで、このないとこを、ある禅僧にみこまれた。禅問答においてもパンロゴが公案の一つになるほどになっちゃった。やかましく問答される禅僧の中でも教えを乞う僧の数、日増しに増え、ざっと3千を越えた。
「自ずからありながら、なにもない」
 そしてそのことが
「しぴりん、ぴりんぱ」
 と打てば響くもとだっ...。ウ〜ムわかったような、わからないような。

それを聞き付けたとのさまがえるの長老が、全国数十万の仲間を引き連れパンロゴに会いにやって来たから、さあ大変だあ!
2001/06/08 Fri

 あいや、かえるだけじゃない。山門の前は、親類筋のカッパの一団、うさぎの飛び跳ね連、はっぴゃくや狸、はては百鬼夜行の化け物衆までが、押すな、押すなで大騒ぎになった。
 ひきもきらない連中に、いろいろ商いをするものまで現れた。それを目当てに遊び女やら床屋、はては芸人までが居座り、閑散としていた寺の前は、一気に門前町が出現した。
 普段きらわれもんの連中達にこんなに人気があるとは、パンロゴもわれながら太鼓のちからを思い知った。

 また、この連中は人一倍ノリがよく、ピンと太鼓がなりはじめた瞬間から手足が自由に舞いはじめた。ヘイ!ヘイ!ヘイ!

 ここ小阿蔵寺の記録に残る山門フェスティバルが開かれるのは、3ヶ月後のことだ。

 

2001/06/09 Sat

 さあ、明けてフェスティバルの当日だあな。打てば響くパンロゴトリオのパンロゴ、金坊、まめちゃんに加わること禅の達人の臨済の“ケケケケケ”、普化の“コココ”、西郷どんのさばきのよいダンス、と、まあとんでもない時空をこえた最強のメンバー。これであっというまもなくパンロゴがおっぱじまった!あの世、この世の区別を忘れた観衆十万!もう誰にも止められない。
 普化の歌う
「アニェ〜ェ、パロゴォ〜オ、アニェエオバエ、トロミフェ〜」
 太くも細くもないそれでいて、渋みの利いたとおる声が。
 三千世界をまず押し開いた。観衆の一部からどよめきが起こった。それと同時に緑陰を渡る風のようなすがすがしさが地獄に住む妖怪どもにまでも渡った。
 間髪を入れず西郷どんが、
「ヘ!ヘイ、ヘイ、ヘイ!」
 と足どりも軽快にすべり込んできた。
 んんん、わお!感動もんだべえ...。こんなすげーの見たこたねえ...。

 

2001/06/12 Tue

 地獄の釜の蓋がググッとずれた。その瞬間鋭いソロを入れて来るヤツがいる。達磨大師だ。
「ピンパパパパパ、ピンパパパパパ、ピンパパパパパ、ピン。パピンパピンパパ、パプレテプレテ、ペテペテンパ」
 わわわ!烈火のようなフレーズが波動となってあらゆる存在という存在に揺さぶりをかけた。面壁9年。こうなると極楽のハスも一斉にポンポンと音をたてて咲き狂う。天が裂けて凄い勢いで落ちて来た。天地の分別もなくなった。フェスティバルはこれ以上ない最高の盛り上がりを迎えた。 と、 大師の“ア〜”の声が聞こえた。アンサンブルは突然ブレイクした。その時......

(小阿蔵寺の記録はここで途絶えてた。)

 

 

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