YOROSUI 編


2002/12/15 Sun

 空は満天の星が輝いていた。漆黒の中の輝き達はゆらめきながら地上に舞い降りた。

「ヨロスィ...。」

 太古の海は盛んにアミノ酸を合成してタンパク質をつくっていた。太陽は日がな一日海の上に在った。時間は目に見えない速さで恐ろしくゆっくりと流れていた。

2002/12/16 Mon

 気の遠くなる日がな一日...、長い間のランダムなくり返しが、やがてあるゆらぎになり、くり返しにどことなくリズムのようなものが生じていた。しかしまだ太古の海は豊穣なまどろみの中にあった。

「ヨロスィ!」

 呪文のような言葉が突如としてすべてを震撼させた!

 簡単なリズムのくり返しは、けがれない幼児のように無邪気な明るさを持った存在となった。あらゆる単純なくり返しは明確なりんかくとリズムを持ちはじめた。

 ところが、その反作用は無のリズムというものも同時につくりだした。それは切り離すことができない影として表裏一体のものだった。

2002/12/16 Mon

 海の中ではサンゴがリズミカルに産卵をくり返し、生まれたばかりの無数の微生物達は剪毛を振って元気に泳ぎ回っていた。太古の海にはあらゆる“いのち”の明るいリズムが発生していた。

 遠くに茫洋と巨大な月が浮かび出て、同時に、不思議な天体の引力を露にした。呪文のようにくり返されるリズムにデリケートな強弱が加わった。

 パンロゴは突然まどろみから覚めた。

「ココ、何処だべ?!」

2002/12/16 Mon

 見上げた空にはキラキラと何かが煌めいていた。イカの群れがサーッと音をたてるようにパンロゴを通過した。

 ...パンロゴは自分の身体がないのに気がついた。
「海の中かい?!...オラのボディがない?!ん〜、...もともとオラの中身はカラッポだー。驚く事はないな...。...まあ、いいや。それになんかスッゴク軽くて、いくらでもリズムが湧いてくるぞ!ムフ、最高!こいつはたのしいや!おもしろ〜い!!」

 パンロゴがリズムを湧かせると、銀のイカの群れはそれに合わせて見事に群れのダンスを踊った。地をはうエビもユーモラスなバックステップをきめたりした。

 いつしか、どれほどの時間が流れたのだろう?パンロゴは自分が何者かも忘れた。

2002/12/17 Tue

 突然パンロゴは自分のからだから、今まで味わったことのない力強いビートがたたきだされている感覚で、なが〜いながいとてつもなく長い眠りから呼び戻されるように目覚めた!

 自分が誰であるかハッキリわかってきた。黒光りした振動するボディがリンと存在していた!

「オラ、パンロゴだ!」

 深夜の海辺で、パンロゴは雷のように激しく怪しいパッションのビートに揺り動かされ、完全に目覚めた!
 3人の恐ろしい形相の精霊が髪振り乱し無言のまま狂ったようにパンロゴを打ちまくった!
 大地は本性を露にし、まる49日間見たこともない豪雨が降り続いた。

2002/12/17 Tue
 苦難、悲哀、厄災の3精霊がその姿を現わし、狂ったようにパンロゴを打ったのだ!
 凄まじいビートが飛び散り、ありとあらゆるものに突き刺さった...。獣は逃げまどい、花は閉じ、鳥は巣に籠った。

 ...たたき続けた49日間、天の底が抜けたように降り続けた雨は、50日目の朝に黄金の雨に変わった。
2002/12/18 Wed
 いつの間にか3人の精霊は消えていた。金色に輝く朝の大気はまだ乱雲を残し、漠然とした予感に満ちていた。世界が覚醒したようだった...。
 浜辺の稜線には一台の太鼓、パンロゴのシルエットが立っていた。

 パンロゴの無垢な空間から、あれほどの激しく、荒々しく、激怒した深いビートが打ち出された事がまったく不思議だった。
2002/12/20 Fri

 海岸線のパノラマを、乱雲は音も無く流れた。

 パンロゴは湧き上がる深い沈黙を味わった!あらゆるイメージと音の彼方に在る無音...!?パンロゴは存在の深みに流れている“無音”があるのを知った!

「オラ、今とんでもなくディープだべ!」

 パンロゴは独り言を言った。

「音がないというのは、ただ“音”がないだけだべ!...“無音”にある膨大なエネルギーはどうするだべ?!」

 パンロゴは、続けて独り言を言って大きくうなずいた。

2002/12/22 Sun
 そのころベルをかき鳴らし歌いながら巷を行く男があった。名をオブロニと言った。オブロニは片側の足が悪くヒョッコリ、ヒョッコリと軽く跛をひいて歩いた。木の棒でガンガンとやれ鉦を打ならし、行くとこ行くとこ訳知りの行者やえらそうな振る舞いで説法する修行者を見つけると、片っ端から問答を浴びせかけ、応じるや否や持ち前のキレでやりこめていた。その腕のみごとさといったら、スキッと胸のすくこと実に鹿の華麗さと俊敏さを、目の当たりにした心持ちがした。そしてその打鉦の腹から響く力強さと言ったらなかった。
2002/12/23 Mon

 オブロニは今日も街角をビビリまくる音のやれ鉦で大声で歌を唄いながら歩いていた。するとやおら角からぬっと太鼓に出くわした?

「驚いたぞ!貴様パンロゴじゃないか!オレは今まで街角で太鼓に出くわしたのは初めてだ。貴様の名はなんだ?」

 オブロニはパンロゴの真ん前で穴の開くほどパンロゴを見て言った。

「オラ、パンロゴだ。」

 パンロゴが答えた。

「なるほど!なかなかできるな!」

オブロニが言った。

「貴様、さては太鼓の妖怪か?ならばオレが成仏させてやる。これに答えろ!
暗頭来れば、暗頭に打つ!明頭来れば、明頭に打つ!四方八面来れば四方八面に打つ!天空来れば、連架に打つ!どのようにも来ない場合どうする!?」

 金剛力士のような顔のオブロニが 瞬きもせずパンロゴを直視して言った。

「オラ、今、思いっきり打たれて来たとこだ!」

 パンロゴが言った。

「ヨロスィ。」

 通りすがりに、山高帽の紳士が言ったような気がした...。

 オブロニがにっと笑った。

2002/12/24 Tue

「貴様、何処から来た?」

 オブロニがパンロゴに聞いた。

「オラがオラだと思ったのは、苦難と悲哀と厄災からだべ。オラがオラだと気がついたよ。」

 パンロゴが答えた。

「貴様、そんな親切を受けたのか!中身が腐るぞ!」

 オブロニが言った。

「はなからオラの中身はカラッポだベ。」

 パンロゴが言った。

 オブロニは、知らん顔してふたたびやれ鉦をたたき、大声で歌いながら立ち去った。

2002/12/25 Wed
 そのころ、ジェンネの町は塔が立ち並び市が立ち、人があちらもこちらからも集まっていた。民族の衣装も鮮やかに異国の風情に溢れた大勢の女たちがそぞろ歩き、町のうつくしさをひときわ際立たせていた。

 あるときパンロゴは街角で太鼓を鳴らし続けていた。すると、丁度人垣の中から小柄な男が躍り出てダンスを踊り、宙返りを打った。おもしろいことに一回転するごとに地に真っ赤なチューリップに似た花が出る。人垣からはどよめきの声が起った。
 その男の顔は小鬼のように醜かった。...しかし、宙を舞う一瞬だけなんともうつくしい顔が覗いた。
2002/12/26 Thu

「美しい!あの男の醜さはあの一瞬にすべて反転する...。まったく油断できん!」

 今迄脇で見ていた剛毛髭顔の若い男が言った。

「それにあの花は何だ?」

 男が続けて言った。

「まあ見てなよ。今日やるかどうかね...。」

 頭に果物を満載し、見物してた女が答えた。

人垣が息をのんで見守る中、振り帰ってニヤニヤしながら醜い男は踊りを止めた。

「アバヨ!きょうはやらない。また明日だ。」

 そう言うや醜い男はあっと言う間もなく人込みにまぎれ消えた。

2002/12/28 Sat

 次の日も男は現われた。棺桶を引き摺り現われ、それをお立ち台にして踊り、宙返りをした。すると昨日と同じに、今度は白いユリのような花が出た。
剛毛の男は目を皿のようにして待ち構えてそれを受けた。

「む!うつくしい!本物のユリだ...。なんてうつくしいんだ...。あの醜い小鬼のような男が?!...一体どうしたというんだろう?!この刹那のうつくしさは何なのだろう?!むむ、...それに今日は、何かもっと見れるのか...?!」

 男が唾を呑み込みつぶやいた。

 人垣の話し声に耳を傾けると、踊る男はこの棺桶に入り“オサラバ”するらしい?

「え?オサラバって?死ぬのか?!ここで?」

 男は話に割り込んだ。

2003/01/02 Thu

 かたずを呑んでみまもる人垣に向かって醜い男が言った。

「今日もやらん!又だ。」

 こう言うと、今度もひとごみに紛れかき消えてしまった。
 そして次の日も、又次の日も、同様に

「今日はやらん。」

 と言い残してどこかにいなくなった。

 このようなことがしばらく続き、そのうち期待する人も徐々に減り、人垣もなくなった。 ついには見物の剛毛の男独りになって、醜い男が言った。

「はは、オレの衣もそろそろひっぺがすときが来たな。」

 醜い男は、やおら、続けて3回ほど宙に舞い、そのままどっと棺桶に背中からはまり込んだ!
 すると木琴の音が何処からともなく天空に大きく響いて、ロータスの華がゆっくりと降り注ぐように降りて来た!この世のものと思えぬうつくしさに、見ていた男は目を皿のようにし、息を呑んだ!棺桶は、しばらく腰の高さほどの空中に浮いていたが、男の目の前まで来てどすんと落ちた。
 剛毛の男は、恐る恐るその棺桶を覗き込んだ。
 そこには男の着てた服だけが残され藻抜けの空だった。

2003/01/02 Thu

 このことがジェンネの町では大評判になり、その棺桶は人の行き交う通りの真ん中にそのまま置かれた。それを覗き込んだ 通りがかりの山高帽の紳士が言った

「ヨロスィ。」

 後にも近隣、遠方からこれを見物にたくさんの人が来て、そこにはいつも人垣で2重3重の輪が出来た。
 剛毛の男は、いつかあの醜い小男が再び現れるのではないかと、この通りでパンロゴをたたき、日がな一日一日を送った。

2003/01/03 Fri

 パンロゴは、あるとき8層からなる塔の下に腰掛け、ひとり太鼓打っていた。
 塔は紺碧の空を背に今にも飛び立つようで、階層 のそれぞれの四隅に鐘が下がり、風でカロラン、カロランと美しい音を響かせていた。

 すると老婆がいつまでもその塔を見上げ動かない。
 炎天の中、曲った腰を弓なりに、顔はそのてっぺんを見上げていた。
 丁度通りかかった荷車に西瓜を満載した男も、老婆の隣でしばらく見上げていたが何のことか分らず過ぎ去った。

 通りかかった10人ほどの若い旅芸人の男やあでやかな女たちも、立ち止まりしばらく代わる代わる顔を上げては何か話していたが、これもしばらくして立ち去った。

「なんてこったな!いったいやつらはどこ見ておるんじゃ。」

 老婆が吐いて捨てるように言った。

2003/01/07 Tue

 次の日も老婆は現われた。またもや塔を見上げ動かない。
通りかかる商人や水売りが、かわるがわる顔を上げしばらく見ては立ち去る。あいかわらず塔は、鐘の音を軽やかにカロラン、カロランと響かせそこに在るばかりだ。

「この塔に何もおかしいとこなぞないぞ。...塔の類い稀な美しさがわからんとみえる。」

 老婆が言った。

 そこにオブロニが道の真ん中を、やれ鉦を鳴らし大声で歌いながらやって来た。

「婆、何を見ておる?」

オブロニが老婆に尋ねた。

「....。わからんか?」

老婆が答えた。

「む...少しはできるか!...しかし中身をどうする?」

オブロニが言った。

「ワシは明日の朝また来るぞ。」

老婆はさっさと立ち去ってしまった。

「う〜む!婆は油断できん!」

 オブロニは向き直ると再び真直ぐ向こうに見えなくなった。
塔の鐘がカロラン、カロランと風に吹かれて鳴るばかりだった。

 塔の下で寝ころんでたパンロゴには、それが何故か“ヨロスィ”と聞こえてくる。

2003/01/08 Wed

 ある日パンロゴは、川の渡し近くの1軒のわらぶきの家を囲み、大勢の人が大騒ぎしているのを見た。

 パンロゴは遠巻きにしている女に聞いてみた、するとおかみさん達のニワトリのような、怒鳴り声に近い答えが返ってきた。

「こどもが人質さ!あすこに男が立てこもってさ!」
「なんでも、もう人を何人も殺してるって言うじゃないか、もう朝から半日たってるよ!」
「ながい刀で脅して、手も足も出ないのさ!...誰かいないのかね?!助ける男は!」
「食いもんをよこせってさ...、さっさとやればどうなんだよ?!」
「ううう、...かわいそうだよ!あんた!なんとかしておやりよ!」

 一斉に喋った声はただの喧噪と化した。

 パンロゴは人の輪をかき分けて前に進み出た。

2003/01/08 Wed

 パンロゴが様子を伺ってると、男衆の中から長老のような男が言った。

「お前さん、行くのか?...男は用心深いやつで、中から姿を見せんが殺気立っておるぞ...!ほれ...、わめき声が聞こえるじゃろう。...不用意に近づけば子供がやられる!」

 と、そのとき50格好の坊主頭に無精髭の男がのっそり出て来てパンロゴを遮った。男はアジャと名乗った、メデシンマンだという...。

「ここは...オレに...、任せてくれ。」

と言いながら、服を脱いで上半身裸になった。

2003/01/09 Thu

 アジャは持っていたビンから液体を2〜3滴地面に垂らし、しばらく見つめていた。近所の女にライスボールをつくらせると、すぐさまそれをもって小屋の入り口付近に立ち、言った。

「オレはお前にメシを持って来た。さあ、受け取れ。オレは裸だ、武器は持っていない。」

 小屋の右手奥から声がした。

「寄るな!そのままそこに置け!変なまねするな、このガキの命はないぞ!」

 刀の先が闇の中で光った。

「いいから、手をのばせ、何もせん!ここに置くぞ。」

 アジャは入り口の土間にライスボールの皿を降ろした。
 男はそろそろと手を伸ばした。1つを素早く手にし、むさぼるようにあっという間に食べた。
 しばらく空白があり、男が2つ目に手を伸ばした。
 この時を逃さず、むんずとアジャの腕が男を掴んだ!男は刀を暴れさせたが無駄だった。 アジャは男を小屋から引き摺りだすと刀を取り上げた。子供は気丈にもそこに突っ立っていた。そのとき突然にわかに暗くなった空からつぶてのような水滴が落ち、たちまち何も見えなくなる物凄い豪雨になった。

2003/01/10 Fri

 子供はすぐさま親の手に渡った。どしゃぶりの雨とともに混乱と罵声の怒濤がおしよせた。

「おまえ、この場で土下座して心をあらためろ!...それともあの世が見てみたいか?!」

 男の腕をねじり上げたままアジャが言った。

「....。フザケるな!おめえは誰だ?!いてて、...ただじゃすませねえぞ?!オレのじゃまするやつは、神だろうが仏だろうが必ず倒す!」

 男は減らず口をたたいた。

「おもしろい。おまえにチャンスをやろう!チュイアナー(忍耐)がいかに大事か知るべきだ。」

 アジャは男の腕を放した。

 男はすぐさま放り出されていた刀を拾い上げると、ニタニタ笑いながら低く構えた。

「ペッ!ばかやろうめ!てめえで墓を堀やがった!」

 男が唾をはきながら言った。

2003/01/14 Tue

 男はアジャに向け何度も切り掛かるが、刀のほうからアジャを避けてしまう?

「てめえ!変な術使いやがってきたねえぞ!?まともに勝負ろ!」

男は動転して叫んだ。

「ぐはは!呆れかえるな、...お前の刀に聞いてみろ。その刀はおれを切るのを嫌がってるぞ...。ひはは。ははは、笑い死んじまう!げはは。...どうするんだ?」

 アジャは腹を押さえながら大笑いして言った。

 男は観念して刀を投げ捨てた。その瞬間、刀に稲妻が走り落雷した!

「何て事だ!?...思えばおれの悪行も尽きる時が来たのか?...。そうか!そうなのか。...煮るなり焼くなり好きにしてもらおう!」

「まあ、おれの老婆親切を受け取るんだな。」

 アジャはその辺に転がっていた棒を拾い上げ言った。

「そこに座れ!お前の悪業に引導を渡してやるぞ!」

 アジャは男の背に金剛の槌をおもいきって食らわせた!

2003/01/15 Wed

 男はアジャの棒を食らい自然に涙が出て来た。まったく予期しない、自分の生まれついてから今日までの歪んだ気持ちが次々と寸分の過ちもなく目の前に立ち現れたのだ。

 男は今まで泣いたことがなかった。
 親の顔も知らず辻に捨てられてた赤子の頃...、不運に不運を重ねたような人生だった。しまいには自分を捨てた親も殺した。神も仏もあろうはずがなかった。すべてを憎み、すべて破壊し、すべてを呪う生だった。
 しかし、この1棒で、自分のみじめさが粉々に砕け散り、一遍の雲さえもない晴れ渡った気持ちとなった。

「不思議だ!おれの生がこれほどありがたいものだったとは...。」

 男はどしゃぶりの中、アジャに心底土下座した。

 轟き渡る雷鳴が“YOROSUI!!”と、男には聞こえた。...男の名はメンサー。

2003/01/20 Mon

 ある村の入り口の木陰でパンロゴが休んでいると、遠くにドラムの音が鳴り響き、こちらに王の告知をする行列がやって来た。

 太鼓言葉に乗せられたその意味は、

「われとおもうものは〜、下賤を問わな〜い!村はずれに在〜る池の大なまずを〜、瓢箪で捕らえた者に〜過料の褒美をあたえる〜。」

 てなことを喋っている。

「...なんだって?なまずをひょうたんでとらえる?...おもしろそうだな!」

 パンロゴが腕まくらを上げた。

2003/01/21 Tue

 パンロゴがその池に行ってみると、4〜5人の男達が瓢箪片手に池をじっと見つめている。その周囲を女、子供や老人などが大騒ぎではやし立ている。

「瓢箪でなまずをとらえるなんて誰が考えたんだい?一筋縄じゃいかないよ〜!」

男が及び腰で池に入った。

「あんた!そこそこ!右だよ右!このまぬけ〜!しっかりおしよ!」

 おかみさんが頭に果物をのせたまま指図してどなってる。

「ははは!これはおもしろい。」

 力士のような筋肉の男がそれを見て言った。

2003/01/22 Wed

 力士のような男も、おもしろ半分瓢箪を持ったが、これがなかなか生半可では行かない。
 まずこの瓢箪が持ちにくい。その上つるつると滑ってナマズを捕らえるまでいかない。よしんば大ナマズが... 運良く下に有ってもナマズがまたぬるぬるときている...。

「わはは!ぬるぬるのつるつるだあ?!いや!つるつるのぬるぬるだな!がはは!これは王の問答だぞ...!」

 力士のような男は、池の真ん中で仁王立ちになって大笑いした。

 池のほとりの小枝で小さくて青い宝石のような鳥がするどく鳴いた。

2003/01/23 Thu

 ひとしきり賑わうと、池はまた元の静寂を取り戻した。澄んだ水面に木々の明るい陰が写り込み、その中をナマズの陰がゆっくり動いて見えた。
 2〜3人の修行の者が緑陰の下でこの光景を捕まえるでもなくのんびり見てる。

「問題は、ぬるぬるやつるつるではないな。ましてや、うるるんなはずはない...。」

 坊主頭の上半身裸の男が言った。

「さよう!これをどうとらえるかだ。」

 伸び放題に髭をのばした小柄な男が、池を見据え杖に顎を乗せたまま言った。

「うるるんはイイかもね。」

 利発そうなこどもが言った。

2003/01/28 Tue

 ふと気がつくと、その時間がゆるやかに金色を帯びてただただ輝くように在った。再び池に鳥の声が一声するどく鳴り渡った。

 力士のような男は静かにうなずいて言った。

「う〜む、王の問答は...、答えは問題ではないな...。」

男にはその鳴き声が

「YOROSUI!!」

と響き渡ったように思えた。

2003/01/28 Tue

「ナマズはゆうゆうとそこにあり、逃げようともしない。人もまた同様、瓢箪をもって無駄に追い回したりしないものだ。」

 ゆっくりと力士のような男は立ち上がり、大きく伸びをすると瓢箪をそこに置いて立ち去った。

 後日、それは王の耳に入り、王は力士のような男を探させた。しかし男の行方は依然として分からなかった。

2003/01/29 Wed

 あるときパンロゴは原野で日暮れて、焚き火で野宿をしてた。深夜に目覚め、ふと空を見上げた。
 満天の沖天のそこに見なれない物が光っていた。手のひらを伸ばした時の親指ほどの、天の切れ目がのぞいたようなエメラルド色の異様な存在に目を擦った。

「なんだべ?」

2003/01/31 Fri
 ぼーっとした輝きが、呼吸するように強くなったかと思うと弱くなった。

 同じ道を戻り、再びその原野で野宿したときにも、又もやパンロゴは夜半に目覚め、同じものを見た。

 はなしはそれだけなのだ。
 世の中には、まったくそれ以上の展開のない事だが、異常にいつまでも印象に残る事があるものだと、ついさきほど前知り合いになった山高帽の紳士と焚き火を脇に、半分眠りながらパンロゴは思った。
2003/02/04 Tue
 パンロゴは、あるとき大樹の緑陰で正午の日ざしを避け涼んでいた。鳥もさえずらない暑さに、時間は停まったような様相を呈していた。
 そのさ中、近くの雨つゆをしのぐだけのあばら家で、独りもくもくと大きな材を刻む男がいた。周囲には、男のたてるノミの音だけがコンコンとリズミカルに響いた。

 そこに、歳の頃とうに百歳を越えるほどにヨボついた男が、杖にすがり蝸牛のように驚くほどゆっくりゆっくりとやって来た。
 それは何処から見ても人間とは思われないほどに、しわしわの印象をあたえた。

 ヨボついた男は、しばらくじっと男のノミを振るう姿を見ていた。
2003/02/05 Wed

「お若いの....、精が出るのう〜。」

 ヨレた男がしわしわのしゃがれ声で言った。

「そうさ、俺に残された時間はもうわずかなんでね...。これを作り上げない内は死にたくても死ねないのさ...。話せば長くなるが、数年前の夕暮れに身の丈3メートルもある大男が、突然家に入って来て“きさまの命は自害、35歳”と言い残してな...。...俺はあと3日で35歳なんだ...。」

 ノミを振るう男は手を止めずに言った。

「ほう、時間か...。わしもとうに時間は使い果たしてしまっておる。なにせわしは、今年で八百八歳にもなる。」

 ヨレた男が言った。

2003/02/06 Thu

「いったいどんな生だ?...それほどの歳を生きるってのは?...今でこそ何だが、...俺は随分と自分の運命を呪って苦しんだよ....。だから、...これだけは、仕上げたいんだ...。」

 響き渡るノミの音と男の朗々とした声が、低い屋根に木霊して交互に喋ってるように聞こえた。

「同じだよ...。今日行くか、明日行くか、ってこの歳さ...。がな...、ある時からな、死を追うよりも、今日も、己が在る有難さが身にしみてな...。...そう思うと、ありとあらゆるものが輝きを増しての...、あらゆる森羅万象が、不可思議のおもしろさを見せて来るんだよ。...自分の生き死になんぞは、天にすべて任せてけ...、とな。」

 恐ろしくしわがれた声でヨレた男が喋った。その声は不思議にも異様にはっきり聞こえた。

2003/02/06 Thu

 男は、はっとした。3日だろうが今だろうが、変わりがあろうか?...時間のない事への焦りが、材の命を取り出せないでいる自分に気がついた!この材も7〜8百年は立っている...。

 男は自問した。

「俺には、生きている内に仕上げたいという、己の願望しかそこになかったか...?!」

 ノミの音が一瞬止んだ。

 あたりは正午の静寂がしんと静まり返った。

2003/02/12 Wed
 男は、はじめて泉のように湧き上がってくる何かで満たされ、一杯になった。
しばらくそこに、呆然とノミを構えたままの姿勢でいたが、再び無駄のない的確な腕の筋肉がノミを力強く振いはじめていた。

 男には見えていたのだった...、材のあちらこちらがここを彫れと言わんがばかりに輝きはじめていたのを。
2003/02/13 Thu

「コン、コン、コン」

 というリズミカルなノミの音一打ち一打ちが、緑陰でうたた寝をしてるパンロゴには

「YO RO SU I !!!」

 と聞こえた。
 正午の空気がまさに男によって刻まれたのだ!

 ヨレた男は深く2度うなずいた。そして、その速度は恐ろしくゆっくりとだが、道を遠ざかっていつのまにか消えた。

2003/02/17 Mon

 ふたたびパンロゴがこの地を通りかかったとき、そこには材を刻む男の姿も、あばら家もなく青々と草ばかりが勢いよく在った。
 だがそこに、パンロゴは不思議な気配を感じ振り返ると、異様な彫刻物がこの世を見据えるように立っていた。

 そこにちょうど老婆が通りかかった。

「これはなんだい?婆どの。」

 パンロゴは尋ねてみた。

「ん?...これは天下に知れるある高名な男の、最後の彫り物じゃ...。どうゆうわけかここから動かそうとしても、ビクリとも動かんでここに置いてある...。
 ここにはその男の仕事場が在ったんじゃ。聞くとこによると、あるときその男はコレを仕上げる寸前で、鎗カンナが腹にささって死んでいたそうだよ。...じゃがその顔には笑みがあったそうな...。
 まったく不思議なことじゃよ。」

 老婆は異様な彫刻物を見上げ淡々と喋り続けた。

 パンロゴは日がな一日緑陰にとどまり、それを眺めた。

2003/02/18 Tue
 あるとき、パンロゴは街道の辻又にあるいっぽんの大きな木の下で、旅の男と共に午後の熱さを避け休んでいた。

 口笛をやめ耳をそばだてると、遠くから何かの気配がして鳥が騒ぎはじめた。
 にわかに人通りが増してきたかと思うや、怒濤のような足音に歓声がとうとう辻に近づいた。
 若い女の半裸の集団が狂ったように笑いと叫びを上げ乱舞しながらやって来た。
2003/02/20 Thu

 旅の男がパンロゴに囁きかけるように言った。
「これは“抜け参り”でっせ...。」

「“抜け参り”?」

パンロゴは男に聞き返した。

「とにかくちょっと隠れまひょ。」

 男は幹の陰に移動してパンロゴを手招いた。

「“抜け参り”ちゅうのはの、どんな仕事の最中でもそのままほったらかして、神さんのとこへお参りに出かけてしまうんです!...ほれ、口々に神さんの名を唱えて恍惚になってますじゃろ?!...それにほれ、若い女ばっかりってことは、“闇”の神さんでっせ?!」

 男が集団を見据えたまま言った。

2003/02/20 Thu

 この100人を上まわる踊り狂う半裸の乙女の集団の回りを、もう一回りの野次馬やら、無宿人やらが取り巻き、近くの見物人やら、年寄り、子供がそのまた前後を取り巻いて、狂気乱舞してぐんぐん進む様は異様な進み方をした。

「抜け参りだ!抜け参りだ!」

 誰かが遠くで大声で叫んだ。

 一人、二人と、いままでそこで洗濯やら髪結いをしていた女が、そのまんま仕事を投げ捨て、集団に加わるのが遠くに見えた。集団は、かけ声と同時に口々に何かを叫び、ときに一斉に魚の群のように跳ね上がったりした。

「こっち来まっせ?!木に登ったほうがよさそうでっせ!こりゃ、このまんまじゃイテまう!」

 男が怒鳴った。

2003/02/21 Fri

 木に登るとそこには先客がいた。
ギョロギョロした目に伸びっぱなしの頭髪、日焼けした裸の上半身の首に赤いチーフを洒脱に巻いた男が、登って来たパンロゴに言った。

「...分かるか?この衆にはリーダーがいない。つまりだ、これは神意なんだな。」

「オラ、初めて見るけど興奮するもんだなあ!」

 パンロゴが下を眺め言った。

 上から見る若い女の集団の動きは、その個々の激しい動きと恍惚の表情とはうらはらに、神の名が口々に叫ばれる度に、ツグミの群れの群舞のように全体がうねるようなダンスを踊っているように見えた。

2003/02/26 Wed

「これを見ちまうと、個々のちっぽけな寄る辺ない人間の生というのも、なかなかどうして分からんモノだな、...と思うよ。
命というか生命力というか...、大きな凄いものに感じられて来るから不思議だな。...おい!...見ろよ!暴れ牛が突っ込むぞ?!」

 ギョロっと目をこちらに向け赤いチーフの男が叫んだ。

 見ると、興奮した巨大な1頭の牛が、集団の真っただ中に暴れ込んでいた。
 角突き上げられボロ布のように、人間がポンポンと空を飛び交うのが見えた。...が、しばらくすると、あれだけ大きな巨体が見えなくなってしまった?

「あんれ?!牛がいなくなっちゃったべ?」

 パンロゴは我が目を疑った。

2003/02/27 Thu

 男達が木の上から陰を避けて頭を左右すると、乙女の集団の隙間からチラチラ白いモノがのぞくのが見えた...。牛は見る間に引きちぎられ、バラバラにされ骨だけになっていたのだ?!

「凄いな!?あの大きい牛がバラバラだぞ?!しかも、もう骨だ...!見ろ!回りの群衆は、牛肉でわれもわれもと取合いの余ろくだ...!う〜む!まったくの驚きだ!およそ人間のパワーとは思えんぞ... 。」

 赤いチーフの男は目をギョロギョロ浮かせ叫んだ。

「ワシらも肉取りにいくわ。」

 木に居た男達はどどっと下にかけ降り、たちまち群衆に消えていった。

2003/02/28 Fri

 木の上には、パンロゴ、チーフを巻いた男、山高帽の紳士、の3人が残って下の様子を眺めていた。

 チーフを巻いた男は興奮が少しおさまり、ギョロっと振り返って言った。

「見てろよ...、この群衆は2日、3日と50人増え100人増え、10日もすると先から最後尾まで見渡せない程に大きくなるぞ。...するとどうなると思う?...合流するのさ!...コレが不思議な事に発生したのはここだけじゃないんだ!もう“抜ける”のは乙女だけじゃなくなってる。もうなんもかも置きっぱなし、投げっぱなしで皆入ってくるんだ!」

「ふ〜ん、...それで何処行くの?」

パンロゴが男に聞いた。

「それは俺にも分らん...。」

 チーフを巻いた男は目を閉じて言った。

「..教えようか?...。」

 山高帽の紳士が言った。

2003/03/03 Mon

「“何処”という場所はないよ...。ホッ、ホッ、ホッ、“何故”も、“如何して”というのも、無いんじゃ...。つまり人間の頭の考えを超えとるんじゃの〜、ホッ、ホッ、。...コノ出来事は、考えや予想は役に立たんのじゃ〜。よろすぃ〜。」

 山高帽の紳士が笑ってゆっくりゆっくり髭をなでながら言った。

「え〜!?」

パンロゴはしらけきった。

2003/03/04 Tue

「...先を考えるから不安が起こるってことか...?なるほど。何も考えない!...つまり、“抜ける”ってのは、明日のために思い煩うをやめちまうんだな? はは〜っ...、そうか!この大きな衆生に、...小さな自分を全部委ねちまうのか...。こいつは発見だ!」

 ギョロとした目を群集に向けたままチーフの男が言った。

「そんならオラは初めから“抜けてる”な。アハ。」

 パンロゴは元より何も考えてはいなかった。

「ヨロスィ!!」

 声はしたが紳士の姿はそこに無かった。

2003/03/05 Wed
 “抜け参り”はその後もとどまるところを知らず猛威をふるい、通過した村々はすべて無人と化した。
 ある時眠りから覚め一斉に咲く竹林の花のように、異変とその後の変化は、まさに、破壊と闇の神の降臨と開花を思わせた。
2003/03/07 Fri
 パンロゴはあるとき峠道を独り下っていた。遠く、パノラマに広がる眼下には荒涼とした下界が開け、広大な森や曲がりくねった川がうそのように小さく見えた。
 その峠はホースバックと呼ばれていた。山のひんやりした空気がパンロゴを撫でた。
2003/03/10 Mon

 そこでパンロゴは不思議な光景を目にした。

 はるか下の道の傍らに人が行き倒れているのに出くわした。近づきながらパンロゴは気が着いた...、その人の背に、大気から金色の細かい粒子のようなものが集まり流れ込んでいるのだ!?

「なんだべ?!」

パンロゴはしばらく目を凝らし見ていた。

 それまで死んだように倒れ込んでいたその人物は、突然立ち上がり、よろけながらも歩き始めた。

2003/03/12 Wed

 遥かな眺望の中、下方に牧童と山羊の群れの一団がゴマの粒のように横切っていた。起き上がった男は、必死でその一団によろつきながらも追いついた。

 男は、山羊の牧童に水を分けてもらい瀕死の形相でゆっくり飲み、再びそこに座り込んだ。
「ここに俺の弁当の乾いたパンもある、...急ぐな、ゆっくり食え。...しかし、奇遇だ、あそこで行き倒れたのはあんただけじゃない...、俺は偉い坊さんを助けた事があるよ...。あんたはそっくりだ!?」

 牧童の男が、行き倒れた男の顔をまじまじと見て言った。

2003/03/14 Fri

「...私はある時迄国の王子だった...。しかし思いもよらぬ家臣の裏切りに合い追放されたのだ。その時に命と引替えに目を潰され、指を切られた...。」

 男は水で一息つくと、その牧童に涙を溜め語りはじめた。

「う、う...、只々その不誠実と裏切りに対する復讐のために、私は今日迄、死を生に変えどのようにしても生延びてきたのだ...。」

 男が嗚咽をこらえて言った。

「峠を越えた時に、寒さと飢えで一歩も歩けなくなり、ついに私の不運な生も終わりを告げるのかと、たまらない悔しさが全身に込み上げたが、其処に行き倒れてしまったのだ。
...ふと、気づいて...自分は地獄にあるのかと目を疑ったよ。見えるんだ...。すべてが...。目ではないが見える!驚きだ!」

 男は喋り続けた。

2003/03/24 Mon

「それと同時に自分の前世というものがはっきり目前に見えた...。
 私は、この今を生きる直前の生に、神官の地位にありながら盗みを働いた...。
 私は今の自分の状況と即座に前世の因果を理解した!

 ある貧しい旅の者が臨終のおり、エメラルド色の不思議な輝きの石を持っていたのだ。
...あろうことか誰も見ていないのを幸いに、ふと、“どうせこの者は死んでしまう”と、自分の袖に入れた...。
 神官として最高の地位まで昇りつめた私は、老いて死ぬまでそのことが誰にも言えなかったのだ...。
 ...だがその石の輝きと言ったらなかった...。」

 遠い目つきで男はうわ言のように一気に喋ったあと、ゴクリ、と水を飲み下した。

2003/03/27 Thu

 男の飲む水に引かれて山羊がヌーと顔を出し、男と山羊の顔が向かい合った。
 山羊の楕円の瞳に写り込んだ世界は、まるで男の未来をも反射してるようだった。

 牧童がボツリと言った、

 「今日はまったく不思議なことが重なる...。その石なら知ってる...。今朝方会った山高帽の男が見せてくれた。」

2003/04/01 Tue

「その石といったら今まで見たことのない、かぎりなく明るいと思えば、深く湧き出るように変わる不思議な色合いで、どんなに見ても見飽きることがなかった。...なんだか、...俺を不思議な気持ちにさせたな。...きっとその石に違いない...。」

 牧童がボソっと言った。

2003/04/02 Wed

「みじめさと神への裏切りが、私の歩いてきた道だったのです...!
 今、そのあなたと石の話を聞いて、よほどはっきり分ったことがあります...。
 救い得ない状況にもかかわらず今又その石が、私と言うものを浮き彫りにした!!
 私はみじめさと裏切りなのです。...信じてください...、私はとても今、清々しいのです!」

 男の顔には不思議な金色の光が漂っていた。その笑みは深い謎を称えていた。

2003/04/04 Fri
 それだけ言うと男は、牧童に深々と一礼しフラリと立ち上がった。杖を自分の進む方向の空に突き出し突き出し、よろけながら、ころびそうになりながらも、心そのものは何かを見据えるような格好でホースバックの峠道を下って行った。
2003/04/08 Tue
 開かれぬままに謎の生をいきる男...。

 不思議なエメラルド色を発する石に、一瞬反射した光景が男の生そのものだったのか...?
 男はみじめさと裏切りの生そのものの中に、捉え得ない貫く輝きを見たのだろうか?

 すべては“馬の背”に展開したパノラマの点景だった。

 “YOROSUI"おわり

 

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